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創作 [創作]

「桜散らす雨」
 この季節には珍しく冷たい雨が二人を打っていた。
 麻布台の小さなレストラン、ル・グルマンを出るや、男の腕は、女の腰をしっかり捕らえていた。
女の心臓の鼓動も男に捕らえられている。

 この男は勘のいい奴だ。

私の身体の変化に気が付いていないはずはない。
もうこの人のするままになろう。
「彼には今夜のストーリーはもう出来上がっているんだわ。」
「私は、このストーリーの主役を演じればいいのよ」
 男に背中を押されて、女は東京タワーの横を通って東京Pホテルへと歩を進める。
 男の名前は安藤和也、女は小山美香。
ちょうど通りかかったタクシーを拾う。
 冷たい雨は相変わらず二人に降り注いでいる。
 和也は、美香をかばいながら急いで乗り込む。
和也はドライバーに、「パークタワーなんですが、Pの方回っていただけますか?」と行き先を告げる。
 美香は、和也の誰にでも丁寧なもの言いにいつも感心する。
 (この人、いつもそうなんだよな。)
 (なんでこうなんだ?)
 (まあ、これがこの人の良さなんだけど。)
 美香は心の中でつぶやく。
美香は、「パークタワー!」と驚きを持った声で和也に聞く。
美香にとって一度泊まってみたいホテルだった。
和也は「そう、29階に部屋を予約したんだ」と答える。
 27階のプレミアムラウンジからのレインボーブリッジの眺めは最高と、会社の生意気盛りの20代の同僚が話しているのを耳にはさんでいた。
 美香は、会社での自分の立場がわかっていた。
 もう、お局と呼ばれていることも。
Pホテルは桜が今を盛りと咲いている。
都心とは思えないような風景だ。
 1年前、和也と初めて出合った夜、赤坂の弁慶橋の桜もきれいだった。
 和也は覚えているだろうか。

 雨に煙る街灯に照らされた桜は青空をバックにした桜とはまた違った趣がある。
 「運転手さん少しゆっくりお願いできますか?ここの桜はもうしばらく見られないから・・・」
 また例の口調だ。
年配のドライバーは「そうですね、この時期だけですからね」と答える。
 「今夜の桜、きっと忘れないからね」和也は、美香にそっとささやく。
和也の熱い息は、雨ですっかり濡れて冷え切った美香には、なんとも心地よかった。
 今夜、和也は私のためにプレミアム、エグゼクティブを用意してくれたんだわ・・・
 和也のさりげない優しさを美香は心からありがたいと思った。
 今夜これから起こる事、これは全て運命。
 美香は、そう自分にいいきかすのだった。
  第2章
「花吹雪」
 話は一年前に遡る。
安藤和也はアパレルメーカーの企画課長。
小山美香は赤坂にあるゼネコンで働くOLだ。
美香はその日、部長、相原に頼まれた書類を渡しにそのホテルに来たのだった。
 定期的に、しかも決まって週末はその仕事が美香に回される。
その仕事の後は直帰という事は、課の誰もが知っていたし、誰も不平を言う者もなかった。
 美香は秘書への道を入社以来ずっと夢見てきた。
自分の美しさも、仕事の能力も秘書にはふさわしいと周囲からも、もちろん美香自身も確信していた。
 美香は相原に自分の将来を託して来た。
 まさに身も心も相原に尽くしていた。
相原は次の取締役で平ではあるが取締役に就任する事が社内のもっぱらの評判だった。
この男について行けば念願の秘書もあと1歩だ、そう考えた。
 この日も指示どおり書類渡しに来たのだった。
弁慶橋の欄干にもたれかかって上から堀を見下ろすと、ボートに乗ったカップルが何やらささやき合っている。
桜が散りはじめていた。
あんな時もあったな~とぼんやり眺めていると2メートルほど離れてジャケットの襟を人差し指に引っ掛けて肩にかけて、同じように堀を眺めている男がいた。
「桜も終わりですね。」
誰に言うでもなく男はつぶやいた。
 「そうですね。」
美香も自然に答えていた。
なぜか頬が紅潮したのに自分でも気付いた。
男は美香に顔を向けて、「桜の花びらってよく見た事がありますか?」
続けて「あれはハートの形なんですよ」
美香は「涙の形にも見えますよね」と応える。
男は少し恥ずかしそうに「桜吹雪って男女の間で散っていったハートや流した涙なんですよね」と美香に語りかけた。
「今日はプレゼンの日なんでちょっと緊張していたんです。」
「見ず知らずのあなたとお話できて、なんだかほっとしました。」
「プレゼンもうまく行きそうだ、ありがとう!」
そう言って走ってホテルの方へ向かって行った。
それが和也との初めての出会いだった。

欄干にもたれたまま、美香は書類の事も忘れてボーっとしていた。
何だったんだ、あの感じ。
美香の心に暖かい火が灯ったような気がした。
今夜の相原との逢瀬を期待していた美香ではあったが、別の感覚で身体の芯が熱くなっている事が自分でもわかった。
そんな自分が恥ずかしくもあった。
 いつもの通りガーデンラウンジで相原に無事書類を手渡す。
「遅かったじゃないか」相原は不満気だ。
「すみません、桜がきれいだったもので、つい見とれておりました。」
「あなたとお花見にも行けませんでしたから」
美香は皮肉交じりに、しかし甘えるように相原に答えた。
「今夜は予定が入ってしまったので、デートはまただ。」
最近の相原は冷たい、そう美香は思った。
役員就任を控えて、二人の関係は絶対にばれてはいけない事はわかっていても、寂しかった。
 一人残った美香はラウンジの中を見渡すと、橋で出会った男が金髪のいかにもキャリアウーマンという女性に書類を広げて何やら説明していた。
美香はこの後の予定もなくなったので、大きなガラスの向こうに広がる日本庭園を眺める事にした。
 ウエイターにカンパリーソーダをオーダーする。
冷たく冷えた、透き通った赤い液体は火照った身体に心地よい冷たさだった。
日は西に傾いて夕日に変わっていた。
グラスを通して夕日の色は一層赤い色をテーブルに落としていた。

週末のホテルは何か落ち着かない。
が、こんなホテルの雰囲気も美香は好きだった。
ヨーロピアンの女性の脚は同性から見ても美しかったし、男性のスマートな着こなしと女性への気遣いは日本の男性には望むべくもない事だと思った。
和服の女性も、こういうホテルにはよく似合う。
場所柄、クラブのママなどもいるのだろうか。
騒々しい中にも華がある、グラスの触れ合う音、ピアノの生演奏、日常とは違った世界だ。
 夕日も沈んですっかり暗くなったころ、美香は心地良い酔いを感じてホテルを後にした。
2章終わり

 


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コメント 1

お久しぶりです。。そちらはもう初秋ですね。。
by (2007-05-08 20:21) 

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